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映像の原則―ビギナーからプロまでのコンテ主義
   総論 P4-6,11より

富野由悠季(機動戦士ガンダムの生みの親・アニメーション監督ほか)

映像には原則がある
アニメの現場では、ギャラが安くていつも人手不足のために、素人が仕事をしつづけています。
実写映画の世界でも似たようなものだと聞きますし、ケーブル・テレビ局やCS放送局などが多くなり、
多チャンネル化が進むにつれて、素人にちかいスタッフが現場にまぎれこんで久しい、という現実もあります。

それでも映像作品をつくりつづける現場があるのは、社会的な要請があるからであり、
映画やアニメ、CGで動く画をつくるのが好きな若者たちがいるからです。
ビデオ・カメラに代表される機械(ハード)の性能が良くなって、アマチュアでも映像作品らしいものを制作できる環境が、
さらにそのような若者を増やしてもいます。

そのため、だれでも映像作品をつくれる環境が整ってきたと信じられるようになった現在、
本当の意味でのヴィジュアル社会が到来したと感じます。

一方で、アマチュアでもプロでも、撮影し編集してまとめたものが"なんとなく変だ""思っているほど映画っぽくない"
と感じるケースが多いと思いますが、それには、はっきりとした原因があります。

映像そのものが持っている"原則"を無視しているからです。
見てわかるものに"原則"があるというのは想像しなかったことでしょうが、見たままでわかるはずの映像にも、
原則があるのです。それを無視しますと、"まとめたつもりのものも、まとまったものに見えない"のです。
この映像の原則を知らないで現場に入ってしまった映像スタッフが、とても多いのが現実なのです。

企画の段階でのテーマの選定が悪い、ストーリーが悪い、構成が悪い、
作品にしようとする対象がまちがっているということもあります。

しかし、"カット=映像の断片"をつかって作品にしていくためには、いくつかの原則があるということを承知するだけで、
作品にまとまり感が発生しますし、映像で語ろうとしているテーマが、映像を見ているだけでも語られている、
とわかったりするようになるのです。


感性で映像は撮れない
どのようなジャンルの作品であれ、それを創作(制作ではありません)するためには、まず創り手の感性が要求されます。
とはいうものの、映像は感性だけでは撮れませんし、作画もできません。

なぜなら、映像というのは"見た目"でわかるように見えますが、じつは、かなり複合的な要素が重層的につまっているものですから、
"なんとなく見た目のとおり"に制作しても、作品にちかづくことができないのです。

そのために"映像の原則"を知る必要があり、そうしたほうが制作的に時間を省略できますし、創作上もかなり得をします。
しかし、このことはほとんど認識されず、確立した技術論として認識されることもなく過ぎてきました。

感性というのは、企画の段階での"ひらめき=思いつき"と、最終的に作品をまとめる段階で"直感"が必要なときに働かせるものであり、
制作プロセスの途上では、かなり理論的な作業に終始すべきものなのです。


原理原則を無駄にするな、と若い映像制作スタッフ志望者たちに伝えておきたいのです
このテキストに書かれている考え方は、ひとつのサンプル(例)です。
演出は、大変に柔軟性に富んでいるものですから、このテキストの原理原則を越えたこともおこります。
それでも、映像など感性だけでなんとでもなると思うのは、時間と労力の浪費になりますからやめていただきたいのです。

ロボット物のアニメしか知らない者に、原理原則など書けるわけがないという意見があるでしょうが、それは逆だと言いたい気持ちもあります。
なぜなら、ウソ八百の素材をつかいながらも"それらしい"映像世界を構築するには、映像の力学に頼るしかなかったという事実があったために、
実写(ライブまたはリアル)のような仕事の、もともと"リアルらしい素材"を使って映像世界を創る作り手以上に、
ぼくは映像の力学にはナーバスに対応してきました。

アニメの記号そのものは無機質な映像素材ですから、それらをつかって"らしさ"を演出しようとすれば、
映像の力学に敏感になるのは、実写の世界のスタッフ以上だという確信があります。
むしろ、映像を"らしく"演出する基礎学だけをたよりにフィクション(架空世界)を構築しようとしてきたのです。

映像の原則―ビギナーからプロまでのコンテ主義レビューより、

映像の原則について言及されている部分について紹介しました。これは映像の分野での原則と言えますね。